人気の北海道観光スポットの函館は、かつて何度も大火に見舞われました。
火災に負けない鉄筋コンクリート造で日本初の寺院を建築する29歳の建築家がいました。
今回はちょっとした縁で始まった「木田保造」さんを巡る冒険(物語)の完結編です。
目次
1,エピローグ「木田保造を知っている人いないか」から始まる。
2,木田保造と函館との関りとは
3,函館の木田建築を見学
(1)旧丸井今井呉服店函館支店(現、函館市地域交流まちづくりセンター)
(2)天祐寺の門と塀~実験的な鉄筋コンクリート
(3)日本で一番古い鉄筋コンクリートの寺院、大谷派本願寺函館別院
(4)カトリック元町教会
(5)旧岡本邸
・ちょっとお休み、旧佐田邸(プレイリーハウス)
(6)金森商船34番倉庫
・おまけ、日本最古のコンクリート電柱
(7)ニチロビルディング(旧日魯ビル)
(8)ニチロビル内の古カフェ「カフェ&デリ マルセン」が最終地点
4,取り壊されるニチロビル
5,エンディング「倒産しない会社とは」
1,エピローグ「木田保造を知っている人いないか」から始まる。
4年前、高校時代の友人から「北海道で鉄筋コンクリート(RC)で数多く建築した木田保造さんのことを調べたい」という相談がありました。
友人は建築とは無縁の広告代理店を営んでいて、私がコンクリート住宅の設計に数多く携わっていたので連絡をくれたようでした。
木田保造さんが創業された木田組(のちに木田建業)は40年近く前に廃業されており、なかなか人づてに調べることは難しそうでしたので、私はブログに書いて探してみることにしました。
その当時、私もブログを書き始めたばかりで、1日当たりの閲覧者が数十人でしたので「きっと、見つかるまでは時間かかるよなあ」と思っていましたら、さすがSNSの時代、結構早く見つかりました。
(東京神田のY様、見つけていただき重ねてお礼申し上げます。)
話は長くなるのでその辺の顛末は過去のブログをお読みいただければと思います。
その後もいろいろなご縁があり、友人はイベントを無事に成功させることが出来ました。
2,木田保造と函館との関わりとは
友人やゲストの川島智生先生(神戸情報大学院大学客員教授)のお話しをもとに、木田保造さんと函館とのかかわりをまとめてみます。
函館は海に近いため風が強いため、火事が広がりやすい街でした。
明治元年から35年の間に、なんと100以上が焼ける大火が16回もありました。
そんな中、何度も大火で焼失してしまった「東本願寺函館別院」では火災に強い鉄筋コンクリートでの再建を決意し、建築設計できる工事会社を探し始めます。
当時は「和風な寺院を最先端の鉄筋コンクリート造でつくるなんて」という建築家が多かったといいます。
そんな中、本堂を施工した伊藤平左衛門さんがその仕事を引き受けることになります。
ちょうど、木田保造は、伊藤平左衛門の東京の設計事務所時から独立し「木田組」を立ち上げたばかりでした。
木田保造は、伊藤平左衛門が函館の仕事を引き受けた際に現場施工を担当することになります。
ところが、伊藤平左衛門が逝去してしまったため、木田保造がそのまま仕事を引き継ぐことになりました。
この当時、鉄筋コンクリート構造は世界的にも始まったばかりで、誰もが未経験でありましたが、木田保造は書物を片手に現場をまとめるなど、かなりの苦労があったようです。
函館別院は苦労の末、無事完成しました。
ただ、コンクリートの寺院なんてと地元の人の評判はあまりよくなかったといいます。
完成してから6年後に再び函館で大火がありました。
この火災でまわりの建物が焼け落ちる中、函館別院は見事に焼け残りました。
この結果をうけ、函館では木田保造に鉄筋コンクリート構造での建築の依頼が、多く寄せられるようになりました。
木田組は、札幌でも丸井今井本館(現在、一条館)(築98年)、三越デパート(昭和46年に解体)、札幌市役所(昭和46年に解体)などを建築しました。
東京では松屋銀座デパート(現存、築101年)をはじめ神田明神(築89年)などを建築しました。
東京の建物は、関東大震災にも遭いましたが、函館同様、火災に負けませんでした。
木田組は、鉄筋コンクリートの建物の基礎(杭)の特許を数多く取得しています。
東京タワーの基礎も木田組で造りました。
3,函館の木田建築を見学
函館市が後援の木田保造さんの建物を巡るイベントが2023年10月9日に行われました。
イベント名は「函館ゆかりの建築家、木田保造さんをご存じですか?」まちあるき&サロン(函館湾岸コンクリート物語、建造物編)です。
巡った順番にご紹介いたします。
(1)旧丸井今井呉服店函館支店(現、函館市地域交流まちづくりセンター)
集合は旧丸井今井呉服店函館支店(現、函館市地域交流まちづくりセンター)でした。
洋風建築のモダンな外観です。
説明によると、建築当初は3階建てで、その後5階建てに増築したのち、15年前に5階建てを3階建てに一部減築したそうです。
a,モダンな外観
市電通り側の外観
増築された5階部分
もう片側の道路側の外観
b、入口のエントランス
デザイン性のある少しレトロなエントランスです。
建築当初は百貨店でしたが、現在は函館の市民の交流活動の場所として利用されています。
c,エレベーターは北海道で一番古い(東北以北でも)
この建物には北海道(東北以北でも)で一番古いエレベーターがあります。
かなりレトロです。
レトロな呼び出しボタン
エレベーター内部の操作盤
内部の扉は、手動式の金色の蛇腹(じゃばら)式。
こちらのエレベーターは、普段は動かしていないのですが、係の方に乗りたい旨を伝えると5階まで乗ることができるそうです。
我々も5階建てまで乗せていただきました。
ゆっくりとした動きです。
係の方のお話ではエレベーターは日によって動きが微妙に違うとのことでした。
載ってる間は、まるでエレベーターの機械が生きていて、一所懸命に5階まで運んでくれているようで、普段感じないありがたい気持ちがしました。
d、階段の踊り場の天井にレトロな装飾
階段の踊り場
踊り場の天井
踊り場の天井にちょっとしたデザインがされています。
e,大理石の階段手すり
大理石はオニックスと更紗(さらさ)という2種類使用されています。
手前が更紗です。
石の模様が違いますね。
f,建築当初から補強されていた階段ホール
階段ホール。天井にX(ばってん)のコンクリートの梁があります。
斜めの交差する梁を入れることによって、耐震性が増しています。
これは近年の耐震補強工事でも用いられる工法です。
100年前の初期のコンクリートの建物にあったのは、建築に携わる者にとっては驚きです。
耐震性の増す構造なので、この後のRC建築の設計ではあまり用いられなかったのは残念だと思いました。
函館市地域交流まちづくりセンター「北海道函館市末広町4番19号」
(2)天祐寺の門と塀~実験的な鉄筋コンクリート
日本初の鉄筋コンクリート造の寺院を建てる前に、天祐寺において試験的に門と塀を作られました。
a,門の屋根の構造
門は丈夫にするために、鉄骨も使用されているとのお話しでした。
b、モルタルとコンクリートの違いとは
コンクリートを木造の柱や梁に見せるように作るのは、細かい作業が必要で大変だったのかと思います。
細かい部分は、モルタルで加工しているそうです。
モルタルとコンクリートの違いが分かりづらいと思います。
モルタル=砂+セメント+水
コンクリート=砂+セメント+水+砕石
セメントは糊とイメージするとよいかもしれません。
コンクリートは石と石がくっつくので人工石のようになり、丈夫になります。
モルタルは、砂だけなのであまり強くはありませんが、加工しやすいです。
あまりメンテナンスがされていない様子でした。
ちなみに建物はあまり傷んでからメンテナンスを行うとお金がかかります。
定期的にメンテナンスを行うのが経済的で長持ちします。
天祐寺 住所「北海道函館市青柳町27-26」
(3)日本で一番古い鉄筋コンクリートの寺院、大谷派本願寺函館別院
日本中の寺院が木造で建築される中、日本で初めて鉄筋コンクリート構造によって大谷派本願寺函館別院は建てられました。
当時、お金を出す檀家からは寺院は木造でないとならないという意見が多かったようですが、度重なる大火で出費がかさんだのと、別院だったらまあ良いかということになったとのことです。
a,鉄骨も使用されていた頑丈構造
実際は鉄筋コンクリート構造(RC)ではなく、鉄骨も入っているので鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC)になるそうです。(下の写真は鉄骨の現場)
鉄骨が入るSRC構造は頑丈になるため、現在では大きなビルや高層マンションで使用されています。
大きな空間を造るのに必要なことだったのだと思われます。
b,鉄筋は現在の組み方と違っていた
鉄筋は、当時アメリカで行われていたカーンバーという少し引っ掛かりのある鉄筋を、魚の骨のような組み方で行われているとのことでした。
この鉄筋の組み方は、関東大震災で多くの被害を受けたため現在では使用されていないとのことです。(私も見たことがありません。)
ただ、函館別院は地震に対しては、深い地下室を設けたため基礎がしっかりして揺れずらく、強いものになっているとのことでした。
現在の鉄筋の組み方は、主要な鉄筋をぐるりと囲むように組み立てます。
c、大火で燃えず、信頼を得る
下の写真は、鉄筋コンクリート造の函館別院の門になります。
1915年(大正4年)に完成した函館別院は、先にお伝えした通り1921年(大正10年)の函館の大火で燃えませんでした。
燃えなかったことにより、木田保造と鉄筋コンクリート造の建物は信用を得ることになりました。
その後、この函館別院は2007年に国指定の重要文化財に指定を受けました。
2028年まで大規模な保存修理を行うとのことで、しばらく見学は出来なくなるとのことです。
大谷派本願寺函館別院 住所「北海道函館市東川町12-12」
ちなみにブログを書いている設計士は、4,5歳のころ函館に住んでおり、大谷幼稚園に通っていました。少しはご縁があったのかもしれませんね。
今はこっちの大谷派?(笑)
(4)カトリック元町教会
函館別院と道路を挟んだ場所に、カトリック元町教会があります。
日本の寺院すぐそばに、洋風な建物があるのも面白いですよね。
木田保造さんは、神父からゴシック建築について要望を聞き、鉄筋コンクリート造で完成させたとことです。
カトリック元町教会 住所「北海道函館市元町15-30」
(5)旧岡本邸
まちあるきのコース上に、木田保造さんが設計した住宅がありました。
こちらは鉄筋コンクリートではなく木造です。
洋風なモダンな建物になっています。
現在は、ウイスキーの関連の会社が利用しています。
一般公開していませんが今回は特別に内部も見せていただきました。
3階建ての2階部分のところに道路があるため、2階に玄関があります。
リビングも2階にあり、広い跳ね出したウッドデッキ風のバルコニーと繋がっていました。
階段窓のステンドガラスは、説明によると建築当初のものではないそうです。
棟札(安全祈願したお札、屋根裏にあることが多い)を見せていただきました。
「請負人 木田保造」の文字が読み取れます。
映画「PとJK」の主人公の住む家として使用もされたとのことです。
旧岡本邸 住所「函館市元町32-5」(見学は外観のみ可能)
・ちょっとお休み、旧佐田邸(プレイリーハウス)
旧岡本邸の庭続きの隣地に、フランクロイドライトの弟子の田上義也さんの設計した旧佐田邸があります。
こちらは細い路地のような道路に面しているので、なかなかわかりづらい場所にあります。
ライトが好んだプレイリースタイル(草原様式とも言われ、自然との調和する建築を目指した様式)からこの建物を「プレイリーハウス」とも言われています。
北海道とゆかりの深い建築家の建物が、隣接して建っているのは素晴らしいことですね。
札幌にある田上義也さん設計の子供人形劇場「こぐま座」の外観
ライトと田上義也のことが載っている今年書いたブログ
https://lifehome-sekkei.com/index.php/2023/06/29/frank-lloyd-wright/
旧佐田邸(プレイリーハウス) 住所「函館市元町32-10」
(6)金森商船34番倉庫
函館の観光スポットに、金森赤レンガ倉庫があります。
その並びに、木田組が建築した鉄筋コンクリート構造の倉庫が建てらえています。
当時レンガ造りが主流でしたが、この倉庫は函館別院が建築された翌年に鉄筋コンクリートで建築されました。
当時のレンガ構造の床は、木造でしたので、重たい荷物は基本的に1階に置かれていました。
これに対して鉄筋コンクリート構造の倉庫は、2階部分も重たい荷物が置ける頑丈なコンクリートの床で造るので、収納量が2倍に増えます。
メリットが大きいので、倉庫はレンガから鉄筋コンクリートへと変わってゆきました。
この建物は函館の倉庫作りにおいて、歴史的きっかけとなりました。
金森商船34番倉庫 住所「函館市末広町14‐13」
おまけ、日本最古のコンクリート電柱
函館には、日本最古のコンクリート電柱があります。
木田保造さんが北海道拓殖銀行函館支店を鉄筋コンクリートで建築した際、建物の目の前の電柱も、木ではなくRC造で造ってほしいといと要望があったと言われています。
現在の電柱は丸いですが、こちらは少し角ばっています。
コンクリートの状態も良いので、最近造られた電柱より丈夫ではないかとのことでした。
日本最古のコンクリート電柱 住所「函館市末広町15-1」
(7)ニチロビルディング(旧日魯ビル)
最後にニチロビルディングを見学しました、
こちらのビルは、完成時は東京以北最大のオフィスビルと呼ばれていました。
建物は1号館、2号館。3号館と増築されてゆきました。
現在は1号館は減築され、残っているのが2号館と3号館になります。(写真の左手が2号館)
1,2号館は木田保造さんが設計しましたが、3号館は工事のみ請け負ったようです。
1号館は、2号館の倍の長さがあり、展望塔や大き目の風除室などかなり目立つデザインだったようです。
a、窓のアーチが特長的な外観
外観の色は、当時はやっていた薄黄色のレンガだったそうです。
この建物は、窓上の丸いアーチが特長です、
当時はアクセントとして、ここの部分のレンガの色を変えていたそうです。
b、曲線を生かしたらせん階段
内部は洒落た、らせん状の階段があります。
ニチロビルディング 住所「北海道函館市大手町5-10」
(8)ニチロビル内の古カフェ「カフェ&デリ マルセン」が最終地点
a、レトロな雰囲気のカフェ
街歩きのあと、ニチロビル内にあるカフェ「Cafe&Deli MARUSEN(カフェ&デリ マルセン)」に行きました。
このカフェは、建物を生かしたレトロな雰囲気の内装になっています。
吊り下げ式の照明部分の天井に、星型の模様があります。
建築当初からあったものとのことです。
床は帝国ホテルでも使用された「クリンカータイル」です。
デザインもおしゃれですよね。
b、カフェはテレビのロケにも使用
このカフェは、今年、NHKの番組「ふるカフェ系 ハルさんの休日~至福の古民家カフェ巡り」でロケに使われました。
この番組は、全国の古い建物にあるカフェをドラマ風に紹介してくれる内容になっています。
NHK「ふるカフェ系 ハルさんの休日」https://www.nhk.jp/p/furucafe/ts/W6Z2W3826N/
この放送を拝見したのですが、雰囲気の良く素敵なカフェでした。
この番組の特色として。本物の俳優は渡部豪太さんだけであとは実際働いているスタッフやお客さんが出演になっているので、全体的に、素朴なアットホームな感じになっています。
会食中に、出演された方が対談形式で、「30分番組だったが撮影は3日かかった。」「セリフを1週間かけて一生懸命覚えてきたが、そこの部分はカットされた」などの裏話も聞けました。
カフェでは、建物の解説をしていただいた川島先生からスライドを使って木田保造さんの生い立ちなど様々な話をしていただきました。
また函館のように歴史的な建物がまとまって建っているのは、日本では珍しいとお話されていました。
大泉函館市長があいさつに来ていました。
弟さんの大泉洋さんにしゃべり方がそっくりでした。
Cafe&Deli MARUSEN(カフェ&デリ マルセン) 住所「函館市大手町5-10 ニチロビル1F」
4,取り壊されるニチロビル
(1)解体されることが発表
見学したカフェは残念ながら、イベントの2週間後に残念ながら閉店(正確には移転)になりました。
それは、このビルが解体することになったからです。
持ち主だったニチロ(日魯漁業)さんがマルハ(大洋漁業)と合併した後、建物が売却され、今の持ち主が解体することにしたようです。
現在のマルハニチロには、函館のこのビルに対する思い入れがある役員さんが、現在はいなくなったので売却したのではないかとのお話でした。
(2)小樽の倉庫は解体を免れる
ちなみに同じニチロの系列会社だった小樽の北海製罐第三倉庫も木田組で建築されました。
2020年に解体される予定でしたが、保存運動により小樽市に譲渡され、取り壊しを免れました。
取り壊しを免れることは稀で、札幌でも歴史的な建物の保存活動がいろいろありましたが残念ながら、ほとんどが解体されてしまっています。
今年は、保存要望が多かった北海道開拓百年記念塔も解体されてしましました。
(3)函館市民に親しまれたビルだったので残念
ニチロビルは、1500名を超えるオフィスビルでしたが、3号館に大講堂(大劇場)がありました。
そこでは映画やコンサート、発表会など様々な催し物があり、かなり函館市民に親しまれたようです。
カフェには、親子2代にわたってニチロで働かれていた方も来られていて、「子供のころから遊びに来ていたので非常に残念」とのことでした。
5,エンディング「倒産しない会社とは」
イベントの最後に質問コーナーがありました。
質問の中に「当時、最先端の鉄筋コンクリートで建物を作り、その後も高い技術を持っていた木田建業はなぜつぶれたのか」というものでした。
その回答はちょっと意外なものでした。
「バブルなど経済的な要因は大きかったと思います。
ただいろいろな事例を見ると、建設業の倒産には共通なことがあると思っています。
大手と言われた建設会社をはじめ数多く倒産を見てきましたが、これらの多くの建築会社は建物のデザイン力が落ちてきていた。
木田建業は、ほかの会社と比べ見劣りしていたわけではないが、デザインが斬新であり続けていたわけではなかった。
設計力を常に高くしておかないと建設業は生き残れないと思っています。」
建築の設計に携わる者にとって、最後に背筋がピンと伸びる回答でした。
「日々学び続ける」ということが大切だということだと思いました。
この話が聞けるだけでも早起きして函館に来たかいがありました。
これからも良き住まいをデザインできるよう一層精進してまいります。
今回の関連ブログもどうぞお読みください
・ブログを書いたのちに解体が撤回された仙台の美術館
・手動式のエレベーターが現役のデパート
・同じ港町では、歴史的な建物が多く保存されています。
・函館で外観だけ見た田上義也さんの師匠の建物
・上手にコンクリート住宅を建てるコツ
・木田保造さんのブログを読み直す(パート1)
・木田保造さんのブログを読み直す(パート2)
4年ほど前から始まった「木田保造」さんを巡るブログは、今回でひとまず最終回です。
たいへん面白かったイベントでした。
友人のHさんのお役に立てて、良かったです。
ありがとうございました。
最後までお読みいただき感謝いたします。
あなたの住まいがより良くなり、楽しく幸せに暮らせる家が建てられますように。
ここから設計事務所のCMです。
(私は、住宅の設計が本業です。)
・ブログを書いている設計士の紹介
田中昭臣(たなかあきおみ)1級建築士、宅地建物取引士
建築設計事務所「ライフホーム設計」代表
*注文住宅の主としたハウスメーカーで設計を経験し独立。
(建築実績100棟以上、現在も月に2,3棟の間取り設計に関わる)
貴方の想いをカタチに、一緒に作る住マイルな住まいを目指しております。
詳しいプロフィールはコチラ
・北海道札幌の設計事務所「ライフホーム設計」のこと
あなたの「思い」を「かたち」に「一緒に作る」注文住宅。
対話を大切し、住みやすい間取りのオシャレなデザイン住宅を作ります。
北海道の札幌市近郊のの一戸建て、新築、建て替えの平屋建て、二世帯住宅など注文住宅の間取りのお悩みは、「ライフホーム設計」で個別相談を!(初回相談は無料)
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2件のコメント
永井由信 · 2023年10月29日 7:27 PM
今回のブログは大変興味深く拝読いたしました。コンクリート建造物の歴史や各建築物の詳細など、自分も行ってみたくなりました。この様なイベントがあれば参加したいもんです。
a.tanaka · 2023年10月30日 6:45 AM
ブログをお読みいただきありがとうございます。このようなイベントは多くはないのですが参加するのは、いろいろなことを学べるのでとても良いと思います。